ホワイトキューブの茶室から-私芸術論―

京都と大阪の<まんなか>あたり/やや現代美術<寄り>のギャラリー/ここでは日常のあれこれが「芸術」になる<手前>を考察できればと。。。

富士論

f:id:notenooyaji:20140415090839j:plain

なぜか富士山はめっちゃ好きです。
あっ、大概の方は好きですよね。

普段、近くに住んでいるわけでもなく、小さい頃から見て育ったわけでもないのに。。。
やはり、日本人だからでしょうか?

実物の富士山に初めて出会ったのは、中学の時の修学旅行。確か東京→富士山五合目→大涌谷温泉みたいなコースだったでしょうか。

この時は皇居とか国会議事堂にも初めて出会いました。

初めて富士山に出会った時の衝撃は、五合目に降り立ち富士山に直接触った時より、麓から見上げた時のその人生におけるスケール規格外の威容を目にしたときでした。

冗談だろうと、この大きさ。見たことないぞと。あっ、いや、本とかでは見たことあるけど、実物は全然違うぞと。
ドキドキが止まりませんでした。

そりゃあみんな絵に描くよねと。分かる。感動するし、日本人の精神だって思えるし。
山ではあるけど山を超えて象徴というか、具体物ではあるけれど抽象物というか。
描き方、捉え方によって様々に自らをも表現できる日本人のモチーフだなと。

大人になって仕事で新幹線に乗るたびに、今回はきれいに見えるかなと今だにワクワクします。

富士山が車窓からバッチリ見えればお仕事もバッチリ。半分ならややバッチリ。雲に隠れていたら慎重に。。。みたいな「富士占い」的なモノが心の中に確立されたりしています。

富士山が見えてくるのは大阪、京都から向かって東京に着く約45分くらい前。

その時間になると「あっ、携帯電話が鳴っている、出なくては」的な感じでそっと席を立ち、あくまで落ち着いた足取りで連結部のデッキに向かいます。
「あっ、富士山見たいのですね」って思われたくないというか。慣れてますから、富士山には。と意地を張ったりして。。。
決してデッキの窓に張り付いて富士山を鑑賞するわけではありませんよ的な。

しかし、デッキの窓から見ていると後ろに並んでいる人がいたりして「見えますか?」なんて急かされて。でも一方で妙な連帯感も生まれたり。。。

やはり、みなさん日本人なんだと。「美」の方向が同じなんだなと。