ホワイトキューブの茶室から-私芸術論―

京都と大阪の<まんなか>あたり/やや現代美術<寄り>のギャラリー/ここでは日常のあれこれが「芸術」になる<手前>を考察できればと。。。

ノートの時間。。。

10月、ノートギャラリーでは「Note Cafe Style ノートの時間 ウエダマユミ展」を開催しています。 ノートギャラリーには絵画、音楽、彫刻、文学などなど公的に認められている「芸術」の形式の前の段階、その作者(この段階ではまだ作者ですらないかも)の住…

富士山論 2

先の富士山論を語っていた私はまだ富士山に登ったことがありませんでした。 よく考えたら富士に登ったことが無いのに富士を語るなんて。。。なんと軽率なことをしてしまったんだろう。。。 そんな私に富士登山の話は唐突にやってきました。 家内が突然「富士…

祭り論

大阪生まれの大阪育ちの私ですが、ご縁あって、かれこれ30年近くみちのく山形の地でいろいろお世話になっていまして、準山形県民を自称しております。そんなふるさとで先日「東北六魂祭」が開催されました。先の震災からの復興を祈って1年に1度、東北六県の…

富士論

なぜか富士山はめっちゃ好きです。あっ、大概の方は好きですよね。普段、近くに住んでいるわけでもなく、小さい頃から見て育ったわけでもないのに。。。やはり、日本人だからでしょうか?実物の富士山に初めて出会ったのは、中学の時の修学旅行。確か東京→富…

桜論

2014年4月1日。社会人の新学期。私たちの場合はそれを象徴するのは、家の裏手に咲いたこの小さな桜。誰かが植えたわけではなく、どこからか飛んできた種が芽をつけて自力で成長し、一昨年くらいから花を咲かせはじめました。よく庭仕事をしていた家内は、花…

ネーミング論

話は少し前後しますが、ギャラリーの名前を付けるのにもかなり苦労しました。 この町家はお隣の「mani cafe」さんとニ戸一、つまり柱というか骨組みがひとつの建物で、壁で仕切られて中が半分半分、別々になっています。 なので最初に考えたのが「ハーフハウ…

経営会議論?

6月に始まった枚方宿の片隅にポッンとたたずんでいた町家のリノベーションも暑い夏を乗り越えた頃に完成しました。それまで、一介のサラリーマンのおっさんと、一介の主婦だった私たちがこの空っぽの「ホワイトキューブの茶室」を何かで満たしてゆく未知の領…

コレクション論

2月に個展を開催いたしました「林 秀行展」無事終了いたしました。 会期に合わせてノートガーデンにはノートコレクションから林先生の「月影神殿」(奥)を設置させていただきました。 この作品は遡ることかれこれ20年近く前に手に入れたものです。仕事でい…

看板論3

社会の片隅の中で私たちのようなささやかなものであっても経済活動を営んで行くには、その決意表明として看板が必要であることは先の論で述べさせていただきました。 ノートギャラリーの看板も新調して心機一転のある日に出会った看板が「スナック おだまり…

茶室の思考論2

ギャラリーも何とかかんとか三巡目の年を迎えることができて、紆余曲折の塊みたいにして歩いてきた足取りも少し冷静になってきて思うのは、Note Galleryのこの空間はやはりギャラリーでもなくカフェでもなく「茶室」なんだと。 一介のサラリーマンとして美術…

卒論 論。

今年も卒業の季節が近づいて芸大、美大の卒制展が京都の美術館などでも始まりました。なかなか律儀に全部は拝見できないのですが、いろいろな告知に触れて若いみなさんの新たな息吹が気になることは気になります。 私の卒制は作品というよりこの場でも論じさ…

看板論2

ギャラリーをオープンしてから約2年半になりますが、よく考えたらというか、考えなくてもですが、ギャラリーの看板が無かったのです。「そんなアホな」といわれそうですが。あっ、いや、どこにも無かったわけではないのですが、正面玄関に無かったのです。。…

曼荼羅図論

昨年の夏。。。あっ。新年なのにいきなり昨年ですいません。とにかく昨年の夏、ちょっと用事があって立ち寄った寝屋川市役所で、お昼かなり過ぎていたのですが、地下にも食堂があるよ、と言われて行ってみました。普通のレストランなどと違って、なぜかこの…

「自論」論?

あっ、あけまして、おめでとうございますっ。こちらの「私芸術論」の方では、年末のごあいさつも、新年のごあいさつもまだでした。昨年中はいろいろとお世話になりました。また、本年も引き続きよろしくお願いいたします(*^_^*)この場では、「芸術」の手前、…

茶室の思考論 1

工事も進み、ホワイトキューブの茶室の姿が現実物として現れてくるにしたがって、その方針のようなことも決めていかねばとなってきました。とにかく私は家族の日々の生活の糧を賄わねばならんということで今まで通り普通のサラリーマン(T_T)ギャラリーの管理…

設計論

枚方宿の旧い町家をいよいよギャラリーに改装させていただくにあたって、まず最初に前の持ち主様(お父様が以前税理士事務所を営まれていました)から大切に引き継がせていただき以前と違和感なく町並みの中に存在し続けることと、次に自らの現時点でのコンセ…

風雨論

たまに通る道のはたに置かれた通学路の看板。通学路の安全のためにどこかの誰かが描いて設置したのでしょうが、長年の風雨や日差しに晒されていい味が出てきてます。よく、味わいを出すために土に埋めたり、ゴシゴシしたり、炙ったり、いろいろしたりします…

事業計画論

空き家となった町家が、ギャラリーに生まれ変わるためには工事が必要で、工事のためにはお金が必要で、お金をお借りするのは日本政策金融公庫がいいよと、ハウツー本で読んで、そのためにはまず「事業計画書」が必要だということでした。しかし、私の作ろう…

看板論

空き家となった小さな町家に出会った時点で脳内の空想物だった「ホワイトキューブの茶室」が現実物となるには、それから1年ほどかかりました。「ボンボン屋さん」として活動していた枚方宿にかなり愛着があったので、この場所でこの物件に出会えたことには、…

お店以前論 3

「五六市」を通じて枚方宿に出会い、「会社」を通じてではなく自分たちででも何かできるかもしれない、できないことないかもしれない、という思いが芽生え始めていました。そんな何となく「会社の外側にも何かあるよなぁ」みたいな気運がじわっと滲み出し始…

お店以前論 2

毎月第二日曜日に枚方宿で開催される「五六市」には本業?のサラリーマンの仕事の都合や、出店にも参加希望者の方が多いため抽選なのですが、そのようなタイミングが合う限り出店しました。家内と二人してその月の「五六市」が終わればまた来月の「五六市」…

お店以前論

枚方宿では毎月第二日曜日に「五六市」が開催され、京阪電車「枚方市駅」から「枚方公園駅」の間の京街道に沿って手作りのお店がたくさん出店して多くの人出で賑わいます。私たちもこの「五六市」を通して枚方宿のこの場所に出会ったようなものです。 うちの…

社会復帰の手前あたり論

一介の町家が中身をくり抜かれて、白い壁に囲まれて「無」=「ホワイトキューブの茶室」になりました。 昭和の初期に生まれたこの町家にしてみれば当初「一体私は何をされるんだろう?」と不可解というか理不尽というか納得いかない的な気持ちになったかと。…

私芸術と主婦論

私芸術(しげいじゅつ)は世間で認められている「芸術」のなかのジャンルにあてはまらないものなので、経済活動とは結びつきにくい性質のものです。 ゆえにそのことを扱う茶室的性質を持つ空間を運営して行くにはかなりの忍耐と苦労をともないます。 地域や風…

私芸術論-1

「私芸術論(しげいじゅつろん)」=「私の個人的芸術論」ではなく、「私芸術論」は公的でない、私的な芸術。 たとえば、絵画とか、音楽とか、彫刻とか、版画とか、陶芸とか、他にもたくさんありますが、いろいろ公的に認定された「芸術」の形式になる以前の、…

ホワイトキューブの茶室論

「茶室」は一般的にはお金持ちの方の豪邸の大きな庭の片隅や、公的な日本庭園の緑などに埋もれていたりして、「あっ、そこにいたんですか?」的な、普段はちょっと遠慮気味なたたずまいだったりします。 しかし、その遠慮気味なたたずまいに反して「茶室」は…